ゆゆ式 Advent Calendar 2019 2日目: ゆゆ式の手のひらの上で

これは ゆゆ式 Advent Calendar 2019 2日目の記事です

Featured image is used under CC BY-NC-SA 2.0 license. Trio | Iowa Infrared image with 720nm filter | Neal Wellons | Flickr, December 21, 2008.

11周年記念展の便りを待ちながらここ最近ゆゆ式について改めて思うことを書く。

 毎月COMIC FUZのきらら本誌の配信を楽しみにしていること、気になって単行本を読み返すこと、たまにTVアニメ版やOVAを見始めると止まらなくなること、 If you want to be happy, be. やBD特典のドラマCDを寝る前に聞くこと。 今年は自分とゆゆ式の間にあまり突飛なことはなくて、日々の暮らしの中で単純にこの3人の世界を覗き見ることを楽しんでいた。

2018年12月号の衝撃

 しかしながら一つだけ積極的な思いで向き合ったことがあったとすれば、 そのきっかけ自体は2018年12月号(単行本第10巻の最後のエピソード)を読んで心に引っかかる事があったからだった。 個人的には紙の雑誌を買っていた時期を含めても連載時には読み直しても数回で、 それこそ何度も何度もこなしかえすことはせず、単行本化されてから読み返す事が多かった。 けれどもこのエピソードから受け取った印象は今までのものと少し異なるようで何度も何度もなぞりこなす事になった。

 このエピソードには多くの情報が含まれていて、幼馴染だった唯と縁の2人とゆずこの出会いの場面がさらりと描かれている。 それはそれで大きな事実ではある一方、引っかかりがあったのはその前の部分であって、 p.110の左カラムとp.111の右カラムの会話がそれである。

「なにがー?(縁)」/ 「何がはアレでしょ?冗談でも離れていいなんていいたくないってゆー気持ちがそうさせた言葉選びでしょ?(ゆずこ)」/ 「ん?アレか?今のは自分のこと真剣に考えられたらそれはそれでなんかハズイなってなったから一個付け足してやり過ごそうってゆー言葉選びか?(唯)」

この部分の掛け合いに心惹かれた。会話中の思考を考えることによって3人の中の日頃の掛け合いの中で抑制(照れ)をどのように利用しながら、また、それを互いに意識した上で会話が進んでいるかという部分が如実に現れてくるように描かれていることだった。

三人を探した先に

 昨年末に掲載されたエピソードが頭から抜けなかったこともあり、今年に入ってこの女性三人の関係性をもう少し踏み込んで考えたいという理由から、 他の作品を読んでみることにした。虹いくたび [著: 川端康成] の3人の娘は各々異なる母を持ちそれぞれの宿命を抱いており、 三人姉妹 [著:アントン・チェーホフ] の娘たちは夢見ながらも多くの葛藤と諦め抱いて幸福とは言えないその世界を邁進していく。 めぐりあう時間たち [著: マイケル・カニンガム]、それこそゆゆ式にもその名前が出てくるリア王 [著: シェイクスピア]にも三人の女性が出てくるが、 結論としてはどれもしっくりこない。

 ゆゆ式を別の角度からもう少し考えたいという気持ちに端を発したこの一連の作業の末に、結局何があったかと言われれば、 特段何も起こらないことをその基軸とするいわゆる日常系と呼ばれるこの分野の根本に帰着したことだった。 文学作品の中で生きる三人の女性達はその生まれもしくは生き方が中々にドラマチックであり、読むものの心を動かすこともある。 ただ我々がゆゆ式を読む時に抱くもしくは期待するこの関係性はおそらく今まで物語として切り取られることがなかった場面だった。 要するに、別の作品を読みふける中で最終的にはノーイベントノーライフに今まで以上の実感を持って再会することになった。

連携プレイ

 最後に、先程スルーした3人の出会いについて。 ゆゆ式のベースにある3人の関係性を考える場合にその始まりについて考えることは非常に楽しいことである。 最近はゆゆ式を読む際にぼんやりと、3人の中の2人の関係性を考えることがある。 それは、ある夏の日の帰り道の話*1なのか、 海外旅行からの帰りをそれを日本で待つ2人の会話なのか、 ということではあるがその中でもゆずこと縁の関係性に非常に興味がある。

 かつて、第8巻のp.53左カラム3コマ目で長谷川ふみが口走った「2人で連携プレイみたいのするよね アレいいね」との言に、 よくぞ言ってくれたと称賛するとともにそのペアの関係性を強く意識することになった。 その連携はわかりやすいシーンだと、例えば ゴリラ の話であるとか、 玄関先で凍る縁であることであるのだか、 そのような準備された連携だけではなくてその時その時の会話に見える小さな連携が非常に心地よく思えてくる。

 その中で、おこがましくもふと思うことはもしもゆゆ式が始まった瞬間があるとしたら、 それは小学生の時代に縁と唯が出会った時ではなく、またゆずこが唯に話しかけられたときでもなくて、 唯という存在を通して縁とゆずこがグルーヴを感じながら顔を見合わせて笑ったその瞬間なのかもしれない、 と思いを巡らせる2019年の年の瀬である。

 来年一年も、毎月COMIC FUZのきらら本誌の配信を楽しみにして、気になって単行本を読み返し、たまにTVアニメ版やOVAを見始めると止まらなくなり、If you want to be happy, be. やBD特典のドラマCDを寝る前に聞くことによって、ゆゆ式を傍らに置いて生活していきたい。

おまけ

ゆゆログというページを細々と更新しております yuyu.sk

*1:抑制とか照れに関する話 ekranoplan94.hatenablog.com