宝石の国朗読コンサートを見てきた

 運良く昼夜ともチケットが取れたので両方参加してきた。 昼公演はなんとも言えない遠さがあったので、全体というか視線は映像メインで見ていた。 夜公演は一桁列目の中央ブロックで非常に良い席だったので、キャストの方やその後ろの楽器隊の皆さんをガン見していた。

 物販のパンフレットでボルツ役の佐倉綾音さんのページに書いてあった 「噛み合わないけれど離れなれないふたりの依存関係には憧れを感じます。」というにはもはや同意しか無い。 まさに「交わることのない共依存関係」が本当にどぎつく心地よい。 こと8巻以降にその状況がつぶさに描かれる。漫画やBlue-rayは揃えつつも連載誌のアフタヌーンには手が出ていなかったところではあったが、 このイベントを機にアフタヌーンを買うようになった。

 昼公演は準備に時間が掛かったのだろうか、入場が中々始まらずに実際に始まったのは予定されていた開始時間を10分程度過ぎてからだった。 そのためか、体感としては会場に入って席についてから、公演が始まるまで3分くらいの感覚だったので、 正直なところ、席が後ろの方だったということもあって世界に入り込むのに苦戦した。 思えば、こういったイベントでは、入場してから開始まで席についてゆったりとした時間を過ごすというものは、 俗世から旅立つ助走という意味で大切な時間なのかもしれない。 大抵イベントの開場時間をまつ時は、スマホをいじって Twitter かなにかを見ていることが多い。 そんな日常的な心持ちのまますぐにイベントに集中できるかと言われると、難しい気がしてきた。

 そして始まった昼公演の席は後ろから3列目であり、キャストの表情がなんとなく認識できるかできないかというくらいの場所だった。 これまた、オーケストラは更に後ろに陣取っているためあまり見えず、その演奏の完成度と相まって、自分の耳にとってはこれ本当に生で演奏しているの…か…? というレベルだった。

 自分が引き当てた席次的には、夜公演が本番だった。 キャストの方々は、自分のキャラクターが登場するシーンの少し前のタイミングで、 暗闇のなか舞台袖からマイク前に移動するようだった。 フォスフォフィライト役の黒沢ともよさんは、その暗闇のある意味移動中においても、 その時のフォスフォフィライトの心情を投影していた歩き方をしていた。 物語の始まりの、「根拠なく明るい予感に甘えられた頃」には、胸を張って移動し、 後半の特にアンタークチサイトとのやり取りの時にはどこか物憂げでな様であった。 これはある程度の近くの席でないと見ないとわからなかった。

 朗読、映像、生演奏と、3つの大きな要素から構成されているこの講演は、 すすむにつれて結局どこを注視すればよいのかわからなくなってくる。 キャストの声や所作にその視線が釘付けになると、舞台の上部にあるスクリーンに映し出されている映像にはどうしても目がいかなくなる。 ただ、アニメ宝石の国はあの映像があってこそと思うと、映像とその朗読の組み合わせを楽しむのが正解と言える。 演奏も一緒で、生演奏というのは非常に貴重な経験なのでそこもよく見たい。 上で、収録なのか生演奏なのか分からないくらいのものだと書いたけれど、 よく聴くとやはり差異はわかる。月人が攻めてくる時の曲の高音が非常に尖っていて、 迫力が増大されていた。

 アンタークチサイト役の伊瀬茉莉也さんはメイドインアビスで心を掴まれ、宝石の国でも同様にハマった。 この写真とか座り方とかピースサインとか角度とか衣装とか色々相まってスケバンぽくてかっこよくないですか。